222 神社・寺院・城

北国も、春から初夏へ。
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こちらは、引き続き陣屋の様子。
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GW旅の最後は飛騨高山。
まずは、高山陣屋へ。

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飛騨高山は、江戸初期には金森氏が治める土地でしたが、1692年に出羽に移封となり、以後は天領(幕府直轄地)となりました。
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この陣屋は、飛騨郡代の役所として使われていた建物です。

天守から月見櫓を。
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松本城は、石川数正による築城。
数正は、家康に古くから仕える側近中の側近のひとり。
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しかし、小牧・長久手の戦いの後、ライバルである秀吉に仕えるようになります。
家康側を離れた理由は諸説あって、はっきり分かっていません。
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秀吉の全国平定後、家康が関東に移封されると、数正は抑えとして信州松本の地を任されることになり、この秀麗な天守を築きました。
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二代目の石川康長は、また一転、関ヶ原の戦いでは家康側に戻ります。
このため、松本はそのまま安堵。
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しかし、結局は取りつぶしとなり、以後は譜代・親藩の治めるところに。
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月見櫓は、後に松平家の時代に、将軍家光を城に迎えるにあたって増築したもの。

石川数正が築いた戦の城に、風流のための月見櫓が合わさったことで、この天守はいっそうの魅力を増したと思います。

快晴の松本城。

この均整のとれた姿、個人的に大好きな天守のひとつです。
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赤い欄干の月見櫓が、とてもいいアクセントになっています。

江戸時代から残っている天守は12あります。
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そのうち松本城を含む4天守が国宝に指定されています。
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こちらは、本丸広場側からみた姿。

姫路城や名古屋城のような真っ白な漆喰総塗籠の天守もいいですが、武骨さと秀麗さが同居する黒い板張りの天守も魅力的です。
熊本城や松江城などなど。

さて、青島神社のまわりには「鬼の洗濯岩」と呼ばれる奇観が広がっています。
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固い岩と柔らかい岩でできた地層が隆起し、長いこと波に洗われる中で、柔らかい部分だけが浸食されていったとのこと。

青島神社の境内、絵馬と亜熱帯植物のトンネルを抜けると、元宮があります。
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ここは一番奥、カワラケを投げて占いをする場所。

元宮は、初期の時代から祭祀が行われていた、青島神社で一番の聖地。
いわゆるパワースポットというやつで、空気が違うように感じます。

日南の観光名所その二、青島神社です。
海岸から橋を渡った小さな島全体が境内。
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なお、ここはジャイアンツの宮崎キャンプ宿舎のすぐそば。
初日に監督以下メンバー全員で参拝するのが恒例行事となっています。

主祭神は「ホオリ」、別名は「ヒコホホデミ」とも。
この青島のあたりを生活拠点にしていたとされています。
「ヒコホホデミ」は、天孫降臨「ニニギ」の子で、鵜戸神宮の主祭神「ウガヤフキアエズ」の父、つまり初代神武天皇の祖父。
日本の神話世界においては、かなり重要な流れの中に位置する神様ですね。

宮崎県は日南海岸の崖の上に立つ、鵜戸神宮(うどじんぐう)。
南国風の明るい色彩の社です。

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橋を渡って、階段を降りて行くと、本殿があります。
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ここでまず有名なのは「運玉」の投入れ。
少し下の岩のくぼみに、素焼きの玉を投げ入れて、運を試すというもの。
スパッとストライクは、なかなか難しいです。
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そしてもうひとつ特徴的なのは、崖の岩窟の中に社殿が作られているという型式。
奥の方は薄暗く、水がしたたります。
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主祭神は「ウガヤフキアエズ」といって、初代神武天皇の父とされる神です。

三河の名城、岡崎城。
すなわち、徳川家康のふるさとたる城ですね。
天守はいったん破却されましたが、昭和になって再建されました。

家康はこの城で産まれましたが、やがて織田ついで今川の人質になり、少年から青春時代を過ごします。
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1560年、今川義元が桶狭間で破れた際に、岡崎城を取り戻し独立。
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その後、嫡男の信康、次いで譜代の家臣が入城。
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家康が関東に国替えになると、豊臣系大名の田中吉政が入り、城や城下町を拡張。
東海道を岡崎の街の中心を通るようにルート変更も実施。
いまでも、国道1号線は岡崎城のすぐそばを走っています。
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家康の天下統一後は、名誉ある城として、譜代重臣が城主を務めました。
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こちらは併設の資料館。
動く関ヶ原の展示は、なかなか見応えがありました。
ウォーランドにもこれを置いてあげたい。


さて、城の近くに、徳川家の菩提寺である「大樹寺」があります。

桶狭間の戦いでは今川方であった家康(当時は松平元康)は、大将の今川義元が討たれたことで敗走するはめとなり、先祖の墓がある大樹寺へと逃走。
もはやこれまでと、墓前で自害しようとしたところ、住職に「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど、ごんぐじょうど)、あなたが自らの力で平和な世の中をつくりなさい」と説得されます。
思いとどまった家康は、ここから人生再スタート。
まず岡崎城を取り戻し、天下統一への道を進んで行くこととなりました。
そして家康の旗印は、この「厭離穢土 欣求浄土」の八文字となります。
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なお、大樹寺の山門からは遠くに岡崎城の天守がみえます。
岡崎市ではこれをビスタラインと呼んでおり、この眺望をさえぎる建築物は建てないルールとなっています。

沖縄その5。
勝連(かつれん)城跡です。
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上層部からは海を一望。
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ここ勝連城は、琉球王国の中央に対抗する強力な地方領主として君臨した、阿麻和利(あまわり)という領主の居城。
最後は首里の王国軍の前に敗れ去りますが、地元では英雄視されているようです。
地域の少年少女が演ずる阿麻和利を題材にしたミュージカルも作られ、いまでは公演回数200回を超えるとのことです。

沖縄本島、こちらは今帰仁城跡です。
「なきじん」と読みます。
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沖縄の城(ぐすく)の石垣。
石垣に堀がなく、本州のものとは趣が違いますが、カーブしたラインが美しく感じます。

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真夏の気温と日差しの中、石段を上って行きます・・・。
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汗をかきながら、ようやく最上層へ。
ここからは、北の方に海が見えました。

1月末ごろには色の濃いカンヒザクラという桜が満開となる、花見の名所だそうです。

長州は萩の城下町。
今回のGW旅で、唯一晴れた日。

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まずは松陰神社。
幕末長州の偉人、吉田松陰を祀った神社です。
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ここには、松下村塾の建物があります。
移築ではなく、もともとここに建っていて、あとから神社の境内になりました。
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吉田松陰がこの塾を主宰したのは数年と短い期間でしたが、ここで薫陶を受けた人たちが活躍し、明治維新が実現していくことになるわけです。
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ここは、松下村塾だけでなく、吉田松陰や幕末の長州に関する博物館(宝物館)などもあり、幕末好きには楽しめる場所となっています。

なお、幕末好きの人々にはに総じて薩長寄りか幕府寄りかという傾向があることと思いますが、吉田松陰という人のひたむきさは、両派ともに尊敬できるものではないでしょうか。

2012年のゴールデンウイークが終わりました。
今回は、東京から長駆小倉までドライブに出かけましたが、旅行中はほぼ全面的に雨か曇り。
撮影面ではあまり収穫がありませんでした・・・。
旅自体は楽しかったですけどね。

ということで、今回のゴール地点、小倉城です。
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天守は戦後復元されたもの。
最上階が下の階より張り出している、唐造りと呼ばれる一風変わった形が特徴です。
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築城は、関ヶ原の戦いの後この地に封じられた細川忠興によるもの。
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その後は、長州毛利と九州の外様大名に対する抑えとして、譜代大名重臣の小笠原氏が入り明治を迎えました。
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にぎやかな城下町の様子を表現したジオラマ。
天守内の展示です。
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ちなみに、作法の流儀に「小笠原流礼法」というのがありますが、源流はこの小笠原家です。

札幌に鎮座する北海道神宮です。
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北海道随一の由緒ある神社として、「全国一の宮会」で新一宮として取り扱われています。
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ちょうど神前結婚式に出くわしました。
おめでとうございます。
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境内にある「開拓神社」
江戸後期から明治の、開拓時代を支えた実在の人物達を祀っています。


境内には、広い森が広がっています。
神社のそばは、閑静な雰囲気の住宅街。

ゴールデンウイークの写真をもう少し。

三重は桑名のお城です。
主要な建造物は残っていませんが、城跡は公園として整備されています。
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こちらは本多忠勝さん。
関ヶ原の後、東海道の要所である桑名は、家康の側近中の側近である本多忠勝に任されました。
徳川四天王のひとりで、多くの戦いで活躍するも傷を負うことがなかったと伝えられる豪傑です。
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近年復元された蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)と、渡し場の跡。
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ここの部分の石垣は、築城当時のものです。
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松阪牛やデパ地下総菜でおなじみの「柿安」の本店は、ここ桑名城の跡地にあります。
弁当を買って公園で食べるのがオススメ。
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城跡は、九華公園(きゅうかこうえん)という名称で整備されています。
新緑と花が鮮やかでした。

ちなみに桑名といえば、昔はハマグリが名物でした。
「その手は食わなの焼き蛤」という言い回しがありますね。

大和国(奈良県)の一宮、大神神社(おおみわじんじゃ)です。
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国内で最も古い部類に入る神社。
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かなりの人出でした。
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立派な拝殿です。
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そして拝殿の後ろには、ふつう本殿があるのですが、ここは背後の三輪山自体がご神体となっており、本殿の建物はありません。
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巳の神杉(みのかみすぎ)と呼ばれるご神木。
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遠くから引いて写した三輪山の全景が必要であったと、載せながら思いました。
周辺の名所旧跡はまだまだ訪れていないところばかりですし、また行きたいと思います!

大阪府の奈良県側のエリアが、河内国です。
ここの一宮は枚岡神社(ひらおかじんじゃ)。
昔の大阪から奈良へ抜ける最短ルートだった暗峠(くらがりとうげ)越えの街道沿いにあります。
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藤原氏(中臣氏)の祖先神であるアメノコヤネが主祭神。
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奈良の春日大社へは、ここから勧請されていきました。
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暗峠の石碑。
最近読んだ歴史小説で、登場人物が何度かこの街道を往復していたので、今回行ってみることにしました。
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峠の頂上付近まで来ると、何件かの土産物屋があります。
が、そこに至る道は、タイヤから少し焦げ臭い匂いがするくらいの急坂。
ギアを1速まで落とす場所もある感じ。
にもかかわらず、道が細く曲がりくねっているのに加えてハイキング客も歩いているので、道を譲るために上りの途中で停まらざるを得ないことも。

晴れていてよかったですが、雨の日は走りたくないですね・・。
wikipedia:国道308号(暗峠)

続いて、丹後国の一宮、籠神社(このじんじゃ)。
丹後半島の景勝地、天橋立のちょうど目の前に鎮座しています。
雷雨にみまわれたため、車内で雨宿りして、小降りになったときを見計らって参詣。
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ここは、現在の伊勢神宮外宮の祭神であるトヨウケがもともと祀られていた場所。
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ここでしばらくアマテラスとともに祀られた後、両者が伊勢に移っていったといういわれがあり、「元伊勢」と称しています。
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社殿も、伊勢神宮と同じ造りです。
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また、国宝に指定されている、日本一古い家系図(海部氏系図)を所蔵しています。

なお、この神社の後ろにある小山へは、ケーブルカーで登ることができます。
そこが、いわゆる天橋立の「股のぞき」で有名な傘松公園。
今回は、悪天候のため断念です。

今年のGWは関西方面に出かけて、いくつかの一宮に詣でました。
まずは丹波国の一宮、出雲大神宮です。
京都府亀岡市に鎮座。

丹波というのは、京の都からみて山陰方面の入口にあたります。
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山陰で最大の存在感を誇るのは、なんといっても出雲大社(出雲国/島根県)です。
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その出雲の神を祀る神社が、京を出てさっそく一宮として登場してくるわけです。
山陰への入口にふさわしい配置といえるかもしれません。
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神社名が「出雲」で、出雲大社と同じくオオクニヌシが主祭神。
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ということで、お目当てのご利益はやはり縁結びなのでしょうか。
比較的若い女性グループの参拝客を多く目にしました。


新緑が映える季節です。
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ところで、「徒然草」にこの神社の獅子・狛犬の話があります。
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都から訪れた偉い人が、獅子・狛犬が互いに逆向きに置かれているのをみて、
「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん。」
と、同行の人たちとも感激して、神社の人に尋ねてみたところ、
子供たちのいたずらですよといいながら、あっさり向きを直されてしまったので、
「感涙いたづらになりにけり(無駄になってしまった)」という話です。

昔に教科書で見たことのある話です。
偉い人の勘違いや早とちり、あるいは勝手な決めつけを皮肉った話という位置づけで当時は整理されていた記憶がありますが、今思えば、何にでも感動を見つけるのは大切なことだとも思います。
今はむしろ、この人を支持したい気持ちもありますね。
ポジティブな勘違いは許容したい。

ちなみに、その時代の獅子・狛犬はもっと小さくて動かせるようなものだったそうです。

高知ぶらり散歩の最後は、高知城です。
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奥に天守。手前にみえるのは追手門。
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いまの城は、関ヶ原の後に土佐の領主となった山内一豊によって着工されたもので、2代目の忠義の時代に城郭の全体が完成しました。
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天守をはじめとして多くの建物が江戸時代に一度燃えてしまったのですが、再建されて今に至っています。
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天守です。
東海道新幹線に乗っていると、遠州掛川城の天守が遠くに見えるのですが、それと形が似ています。
掛川は、山内一豊の前任地ですからね。
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天守からの眺め。
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城内には、山内一豊や、その妻千代の銅像があります。
また、板垣退助のもありました。

土佐国の一宮、土佐神社です。
土佐国とは、現在の高知県とほぼ一致します。
今回、JR高知駅からバスと徒歩で訪れました。
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ちなみに、土佐神社の最寄駅は、土佐一宮駅で、「とさいっく」と読みます。
地元の人に聞いたところ、このあたりでは「一宮=いっく」と読むのだそうな。
近所の学校も、一宮小(いっくしょう)、一宮中(いっくちゅう)。
独特ですね。
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朱色が鮮やかな社殿もよいですが、こういった落ち着いた色合いも味があります。
雰囲気がいい場所。
そういえば、NHK大河ドラマ「龍馬伝」のロケにも使われました。
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ここは、拝殿弊殿の造りが十字型なのが特徴的。
戦乱で焼けた後、長宗我部元親が再建したものだそうです。
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こちらは本殿の側面です。
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境内にある末社3社。

なお、土佐藩2代目、山内忠義が寄進した鼓楼が有名とのことですが、こちらは工事中で幕に覆われていました。

阿波国の一宮、大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)です。
阿波国とは、現在の徳島県とほぼ一致します。
今回、JR高徳線の板東駅から歩いて訪れました。
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大鳥居は、高松自動車道のすぐわきに建っています。
以前に高松から鳴門に向けて走ったとき左に見えたのは、やはりこれだったようです。

この神社の主祭神は、大麻比古神(=天太玉命)。
阿波国を開拓したとされる忌部氏(いんべし)の祖先神です。
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ところで、今の千葉県南部も、昔は同じ読みのアワ(安房)の国でした。
忌部一族が、海を渡ってたどり着き、そこを開拓したと言われています。
安房国一宮である安房神社の主祭神も、この天太玉命(あめのふとだまのみこと)です。
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ご神木の大クスノキ。
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こちらは、境内にある「ドイツ橋」。
第一次大戦の際に捕虜として収監されたドイツ兵たちが造ったものです。
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捕虜の扱いが寛容で地元住民との交流も盛んだったことから、解放帰国の記念に造ったとのこと。
ドイツ人捕虜との交流の様子については、映画にもなっています。

三河の国の一宮、砥鹿神社(とがじんじゃ)。
昨年秋、七五三シーズンの終わりごろの風景です。
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三河というのは今の愛知県の東半分にあたります。
砥鹿神社は、東名高速豊川ICからすぐに鎮座。豊川稲荷も近いです。
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境内は開けた空間になっています。
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日も傾きかけた晩秋の午後。
静かでゆっくりとした時間が流れていました。
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着飾った子供たち。
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砥鹿神社には、少し離れた本宮山の上に奥宮があります。
そちらもいずれ参拝したいと思います。

続きまして、内宮です。
外宮前からバスに乗ってやってきました。

内宮の正式名称は、皇大神宮(こうたいじんぐう)。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀ります。
日本の神社の最高位といえます。

新しくなった宇治橋を渡り、宮域へ。
こちらも外宮と同様に、広い玉砂利の参道が続きます。
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五十鈴川(いすずがわ)の清流。
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樹木の間の隙間が火灯窓のようになっていました。
御垣の中が少し見えます。
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正宮を階段下から。
ここから向こうは、撮影禁止エリアになっています。
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階段を登りきると、玉垣の向こうに、整然と並ぶ社殿をみることができました。
造りはとてもシンプルで、派手さはありません。
ですが、なんとはいえず、ここが「原点」であることを印象付けられるような雰囲気、たたずまいでした。

こちらは、御稲御倉の屋根と森の木々。
神に捧げる稲穂の保管場所です。
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第一の別宮、荒祭宮(あらまつりのみや)。
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神楽殿のあたりまで戻ってきました。
お守りやお札を買い求める人たちでにぎわっています。
団体客もたくさん来ていました。
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御神馬ヒヒーン。
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伊勢神宮は、現在「式年遷宮」という事業が進行中です。
これは、20年に一度のサイクルで社殿を新しく立て直すもの。
今回は62回目で、平成25年に完了予定となっています。

内宮の公式サイト
http://www.isejingu.or.jp/shosai/naiku/naiku.htm

年の瀬も押し迫ってくるこの頃、久しぶりに伊勢神宮に詣でてきました。

近鉄特急を宇治山田駅で下車して、まずは外宮から。
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玉砂利が敷き詰められた、広い参道。
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伊勢神宮は、外宮(げくう)と内宮(ないくう)に分かれており、外宮は「豊受大神宮」というのが正式名称です。

苔むした屋根。
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豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。
このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。
(公式サイトから引用)

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境内には3つ別宮もあります。
こちらは「土宮」。

外宮の公式サイト
http://www.isejingu.or.jp/shosai/geku/geku.htm

晩秋ですね。寒くなりました。

では、少しアキらしい写真を。
夏の旅行から、広島城です。

広島城は、まずは中国地方の雄、毛利家の本拠として建設されました。
その後、関ヶ原の戦いで西軍総大将であった毛利家は大幅に領地を失い、代わりに福島正則が入城。
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福島は、もともと豊臣秀吉にかわいがられて出世した武将です。
関ヶ原では家康に率先して従い大きな功績がありましたが、これは家康のためではなく、石田三成を倒すのが目的だったのでしょう。
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関ヶ原の後も家康のために働きますが、豊臣家を立てるような言動もあって、幕府からは警戒の目をもって見られていました。
結局、ささいなことがきっかけで、広島(安芸・備後)の領地すべてを没収されてしまうのです。
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福島の後は、広島城には浅野家が入り幕末まで存続します。
しかし、残念ながら先の大戦にて原爆により倒壊。
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戦後、天守閣が再建され、その他の建物もいくつか復元されています。
こちらは、木造で復元された平櫓〜多聞櫓の中です。
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天守閣からの眺め。

大隅国(鹿児島県のおおよそ東半分)の一宮、鹿児島神宮です。
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平安時代に宇佐の八幡神が合祀され、別名「大隅正八幡宮」とも。
額に「八幡」の文字がみえます。
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祭神は、もともとヒコホホデミ(山幸彦)とその后神で、創始はかなり古いとのことです。
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駐車場から階段を登ったところに川があって、驚きました。

薩摩国(鹿児島県のおおよそ西半分)において、一宮といわれているのは、開聞岳(かいもんだけ)の近くにある枚聞神社(ひらききじんじゃ)と、川内にある新田神社。
 
今回は指宿に宿泊したので、少し足を伸ばして枚聞神社に詣でてきました。
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朱塗りが鮮やか。
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薩摩富士ともいわれる開聞岳、訓読みすればこちらも「ひらきき」です。
神社の創始は不明とのことですが、特徴的な形をした山のそばにある神社ですから、この山がもともとの信仰対象だったものと思われます。
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数枚写真を撮ったところで、ザーッと一雨きました。
小雨になったところでクルマに戻りましたが、この後、土砂降りになりました。
前日の桜島や佐田岬では晴れて暑かったのですが、この日は雨。

山口では、県庁周辺にいくつか見どころがありますので立ち寄りました。
あまりの暑さに往生しましたが・・。

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国宝、瑠璃光寺(るりこうじ)の五重塔。
15世紀、大内氏が一帯を治めていた時代の建築です。
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こちらは、昔の山口県庁舎。大正期のカッコいい建物です。
いまは県政資料館となっています。
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後ろが現在の山口県庁舎。

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こちらは、山口藩庁門。
幕末のころ、長州藩主毛利敬親(たかちか)は、藩をとりまくキナ臭い事態に備えるべく、萩から山口へと藩庁を移しましたが、この際に作られた門です。
いまも利用されています。

伊勢国一宮、椿大神社(つばきおおかみやしろ)です。
三重県鈴鹿市、高速を鈴鹿ICで降りて、鈴鹿サーキットと反対方向に15分ほど走ったところに鎮座。
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深い林の中の参道の先に、伊勢らしい神明造りの拝殿と本殿があります。
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伊勢地方でもっとも有名であり社格も高いのは、「神宮」すなわち伊勢神宮。
ですが、伊勢神宮は日本国全体の一宮といった位置づけです。
伊勢国としての一宮は、ここ椿大神社(と都波岐神社)となっています。
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主祭神は、猿田彦命(さるたひこ)。
アマテラスの天孫ニニギが地上に降り立ったときに先導役を買って出た神で、今は、道や旅の神とされています。
また、身体が大きく鼻も赤く大きいことこら、天狗の原型ともいわれます。
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椿大神社の境内には、天鈿女命(あめのうずめ)を祭った社もあります。
こちらは、アマテラスが天岩戸に隠れたときに、外で踊ってアマテラスを誘いだした女神。
このエピソードから、芸能関係者の信仰が篤いようです。
その後、猿田彦命の妻になったとされており、一緒に祀られています。
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雨上がりの夏の朝、少しひんやりとした空気がここちよい神社でした。

安房国の一宮といえば、社格からいってもまずは「安房神社」ですが、もうひとつ一宮と称されているのが、こちらの「洲崎神社」です。
海の前の小高い山に鎮座しています。
 
上からみると、すぐ目の前に太平洋が広がっています。
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海の前の岩場にも鳥居が。
真夏の晴天、まるで沖縄みたいな風景ですね。
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本殿と拝殿です。
階段を登って暑くなったところで、木陰がヒンヤリと気持ちよかったです。
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暑中お見舞い申し上げます。
東京では真夏の日々が続いております。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

さて、そんな真夏のある日の神社巡り。
こちらは千葉県、房総半島の南部分、安房国。
一宮と称される社には、ここ「安房神社」と、続いて紹介する「洲崎神社」の二つがあります。
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表参道は桜並木。いまは夏の緑の葉。
木の背が低いので、春には目の前がサクラでいっぱいになるのではないでしょうか。
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境内にも、大きな木があり、木漏れ日による光と影が地面に模様を描いています。

拝殿は、先日「平成の大修造」が竣工し、すっきりと新しい建物に。
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主祭神は、「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」といい、古い豪族である忌部氏の祖神。
この忌部氏は、四国の「阿波」、いまの徳島県から黒潮に乗って船でやってきたとのこと。
なので、音が同じ「アワ」なんですね。
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奥に見えるのが、神明造の本殿です。
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こちらは摂社。
孫にあたる天富命(あめのとみのみこと)を祀ります。
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少しご無沙汰してしまいましたが、すっかりサクラの季節になりましたね。
 
こちらは、いまの愛知県の西半分、尾張の国の一宮「真清田神社(ますみだじんじゃ)」です。
所在地も、愛知県一宮市と「一宮」を名乗っています。
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一宮の街は、この神社を中心に発展しました。
鳥居に続く門前町は、本町商店街という大きなアーケード街になっています。
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主祭神は、この地方の豪族、尾張氏の祖である「天火明命(あめのほあかりのみこと)」。
尾張氏は、日本の歴史上かなり出自が古い一族のひとつで、とくに古墳時代に権勢をふるっていました。
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こちらは、境内にある摂社「服織神社(はとりじんじゃ)」。
一宮市周辺の有力な地場産業である、織物の神様を祀っています。
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境内周辺には、反物や骨董を売る店が昔ながらのかたちで残っています。

引き続き定光寺にて。
こちらも、永保寺と同様に、参拝、観光の人でにぎわっていました。

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古刹の紅葉、続いては、愛知県瀬戸市の定光寺(じょうこうじ)です。

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なお、行くまで知りませんでしたが、尾張徳川家の初代、義直(よしなお)の墓があるんですね。
家康の九男にあたります。
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皇居、すなわち昔の江戸城の本丸、二の丸、三の丸の一部は、皇居東御苑として一般に無料開放されています。
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この本丸跡には、天守閣の台も残っています。
 
そう、江戸城には当初天守閣があったのですよ。
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江戸の初期になんどか建て替え、最終的には5層6階の立派な天守閣となっていました。
が、4代将軍家継の時代に、明暦の大火といわれる江戸の大火事で消失。
当然、再建の動きがあったものの、重臣保科正之(ほしなまさゆき)の提言により、このような大金を要する事業は見送りに。
「天守は実用上は必要なく、それよりも街の復興に力をそそぐべき」というわけです。
結局、江戸幕府の江戸城に天守閣があったのは、初期の50年間だけでした。
 
保科正之は、3代将軍家光の異母弟。
会津藩に封じられ、これが会津松平家となりました。
以後、ずっと幕府に忠義を尽くします。
幕末、最後の藩主となった松平容保(かたもり)も、官軍に最後の最後まで抵抗しました。

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続いて、昨年の写真から。
筑後国一宮、高良大社(こうらたいしゃ)です。

福岡県久留米市の郊外、高良山の中腹にある神社。
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このときは、最寄りの駅から歩いて訪れました。
まずは、麓の大鳥居まで徒歩20分。
ここから、登山開始です。
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途中には、孟宗金明竹といって、金色にみえる竹が。
珍しいものらしく、国の天然記念物になっています。

 
石段を登り続けること20分、本殿のある場所に到着しました。
実は、クルマですぐ下まで来られます。
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ここからの眺めは素晴らしいです。
左右に流れるのは筑後川。
向かって右側のS字カーブは九州自動車道。
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高い山ではないのですが、広い筑紫平野の真ん中に位置して、視界も開けていることから、昔から重視されてきた場所なのです。

次の旅に出かけるまで、未掲載の過去写真を載せていきたいと思います。
まずは、諸国一宮巡りシリーズからお付き合い下さい。
 
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讃岐国一宮、田村神社です。(香川県高松市)
 
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この神社で一番神聖な存在とされているのは、本殿の後ろの奥殿の床下にあるとされる深い淵。
奥殿には、真夏でもひんやりとした冷気がただようといわれています。
また、淵の底には龍が棲んでおり、覗き観たものは命を落とすとか。
全体的に雨の少ない讃岐地方ですから、水の神様は信仰を集めたようです。
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ちなみに、この神社のとなりには、四国八十八箇所の第八十三番札所「一宮寺」があります。
また、土佐国一宮の土佐神社そばには第三十番札所「善楽寺」。
このふたつのお寺は、もともと神社に附属しておかれた別当寺(神宮寺)だったそうです。
一宮巡りとお遍路さんのクロスオーバー・ポイントなんですね。
 
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こちらは、安産子宝祈願の犬。
かわいかったので撮影。

続いて、松山城です。
 
賤ヶ岳七本槍の一人でもある、加藤嘉明が築城しました。
この七本槍というのは、秀吉が賤ヶ岳で柴田勝家を敗った際に功績があった武将達で、いわば秀吉の直系なわけですが、この人も関ヶ原の戦いでは東軍についているんですね。
関ヶ原での功績を認められてこの地に封じられ、城を建て、地名も「松山」としました。

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天守からの眺め。
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見えているのは、沖合すぐにある興居島(ごごしま)という島で、山容の美しさから、伊予小富士と呼ばれているそうです。

出羽国の一宮、鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)です。
京からみて北の端に位置していることや、時折起きる大噴火が、山の神の怒りであり戦乱を呼ぶ凶兆と恐れられたことから、昔から重要視されてきた神社です。
また、山岳信仰である修験道も盛んでした。
 
ふもとに2カ所、吹浦(ふくら)と蕨岡(わらびおか)に口の宮と呼ばれる社があり、鳥海山の山頂に本社があります。
江戸時代には、どこが一宮たる社かで互いに争いがありましたが、現在では山頂+2カ所の口の宮を総称して、鳥海山大物忌神社となっています。
 
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こちらは、吹浦口の宮
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この日はあいにくの雨。
蕨岡口の宮にも詣で、人気のない境内で、お参りして写真撮影をしてきました。
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しとしと雨降る神社も、心洗われる感じがしていいものでした。

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)です。
津軽半島の名峰、岩木山のふもとに鎮座します。
 
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正面奥に見えるのが岩木山です。
 
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陸奥国(むつのくに)は、いまの福島、宮城、岩手、青森全体を範囲とする広い国でした。
近畿地方が細かく分かれているのに比べると、一番奥の土地はおおまかだった訳ですね。

陸奥国は、明治になってすぐ、廃藩置県までの2年半くらいだけですが、磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥に分割されました。
今は、分割後の国についても、全国の一宮で構成する組織「全国一の宮会」が独自に新一宮を認定しています。(ので、私も、それぞれに詣でる予定。)

この岩木山神社は、津軽国一宮。
当初の広大な陸奥国と区別して、分割後の陸奥を指すために、津軽国と称しているとのこと。
 
一宮を名乗るだけあって、津軽地方では随一の格式。
北門鎮護の立派な社です。

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岩木山の山頂まで登ると、奥宮があります。
ここから、4時間ちょっとの登山だそうです。
 
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湧き出る清水と、大きな楼門。

函館散歩のラストは、トラピスチヌ修道院。
トラピスト系の女子修道院です。
 
お土産のクッキーやバターが有名なのは男子修道院の方。
こちらは、マダレナ(マドレーヌ)が美味しいです。
 
いまも、修道女が祈りと自給自足の生活を続けています。
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ゴールデンウィークのお出かけ先から。

信濃国の一宮、諏訪大社。長野県の真ん中、諏訪湖の周りに鎮座します。
ここは、大きく二つ、上社(かみしゃ)と下社(しもしゃ)に分かれており、さらに上社は前宮(まえみや)と本宮(ほんみや)に、下社は春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)に分かれています。

今回は、上社のふたつにお参りしてきました。
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諏訪大社は、日本国内でもかなり古い部類に入る神社で、7年に一回の御柱祭が有名です。
出雲から逃れきたタケミナカタが祭神として祀られていますが、土着の信仰、特に狩猟に関する色が強いのも特徴。上社の神事には、鹿や蛙などを供え物にしたものがあります。

諏訪大社の神職の最高位は、大祝(おおほおり)と呼ばれ、特定の一族が引き継いでいました。諏訪地域における現人神として、高い権威を誇っていたようです。


さて、前宮から車で数分ほど走ると、本宮があります。
前宮が素朴で開かれた感じを受けるのに比べて、こちらは、立派でかつ落ち着いた雰囲気があります。
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静かで、少しひんやりとした空気の、居心地のよい神社でした。
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雨引観音は、山を少し登ったところにあるので、茨城の平野を見渡せます。
少し先には筑波山。
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サクラの2種競演。
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甲斐国一宮、浅間神社(あさまじんじゃ)です。

駿河国一宮と同じで、富士の神「コノハナサクヤヒメ」を祀っています。
地元の街にとけ込んでおり、全体として質素で優しい感じ。

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ただ、この神社からは富士山を見ることはできず、拝殿は、むしろ南アルプスの方を向いています。雪を頂く南アルプスの山々も十分に神々しい存在ですし、もともとそちらを祀っていたのではないかという説も。
その後、864年の富士山大噴火を機に、噴火を鎮めるための祠をたてたのが、今につながる経緯だという記録があるようです。

甲斐の浅間神社といえば、河口湖畔や富士吉田にも大きなものがあります。
こちらも、いずれ訪れてみたいと思います。

年末の写真から。

埼玉の大宮に鎮座まします、「氷川神社(ひかわじんじゃ)」です。武蔵国の一宮。
鉄道博物館に行く前に、大宮駅で降りて参拝してきました。

武蔵国というのは、いまの埼玉県、東京都、神奈川県川崎市、そして横浜市の保土ヶ谷あたりまでを指します。
律令によって「国」が制定された8世紀初めには、武蔵は京から観て辺境の地でしたが、いまでは日本の人口のかなりが集中する地帯となっています。

また氷川神社というのは、首都圏というか旧武蔵国にはたくさんあるのですが、それ以外の地域にはあまりないそうな。
局地的に信仰を集めていたようですね。

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ちなみに、武蔵国一宮といわれている神社はもうひとつあります。多摩の「小野神社」で、昔はこちらが一宮だったともいわれています。
いずれ訪れたいと思います。

今回のブルートレインでの福岡旅行の中で、久留米に立ち寄りました。
久留米には、行こうと思っていた神社がふたつあります。
ひとつは高良大社(こうらたいしゃ)で、もうひとつはこちら、水天宮です。
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水天宮は、水産や海運の神であるとともに、安産や子育ての神としても有名です。
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そして、その総本宮は、久留米の筑後川沿いに建っているこの社。
分霊社は日本のあちこちにあり、東京の箱崎町に鎮座しているのもそのひとつです。
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川岸から登ってくるための参道もありました。

週末の小旅行。
18きっぷで、北伊豆の方に行ってきました。

三島は、東海道の宿場町。
これから箱根を登る人、山を越えてほっと一息の人、多くの旅人でにぎわったことでしょう。

三嶋大社は伊豆国の一宮ですが、そんな三島の街の中にあります。
JR三島駅からも徒歩圏で、各国の一宮の中でも、鉄道で訪れやすいところのひとつです。

ちなみに三島は、ウナギでも有名なんですね。
知人に教えてもらった広小路の「桜家」という店で、鰻重を食べてきました。
美味かった!

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拝殿と本殿は、斜め横からみると、まるで要塞かモビルアーマーのようです。
部分部分が、大きく豪壮で、特徴ある建物といえますね。
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境内にあるキンモクセイは、日本一の大きさだそうです。
たしかに大きく、写っているのは、ごく一部。
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歴史を感じる大木。
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桜家さんちのウナギ

陸奥国一宮、塩竃神社(しおがまじんじゃ)です。
仙台市の北東、塩釜市に鎮座しています。

ひさびさに訪れて再発見。
(というよりも、前回はちゃんと見ていないということか?)

本殿・拝殿が、建物としては一体ながら、中で「左宮」と「右宮」とに分かれており、左にタケミカヅチ、右にフツヌシと、鹿島香取の両武神が祀られています。
これは、京からみて北の前線基地的な意味合いも強いからでしょうね。
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ここにはもうひとつ、「別宮」というのがあって、こちらに地元の祭神であろう「鹽土老翁神(シオツチオヂノカミ)」が祀られています。
この神が、塩の作り方を教えてくれたと言われています。
 
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塩竈神社は、小高い丘の上に立っています。
参道としては、この七曲坂が最古のものだそうです。
うっそうとした森の中の道、「この向こうは神域」という意識を高める効果がありますね。
 
表参道には、「陸奥国一宮」と掲げられた大きな鳥居があります。
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そして、一直線に伸びる階段。
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同じ境内にある「志波彦神社」とあわせて、御朱印をいただきました。
達筆で、たいそう美しいものでした。

越前国一宮、氣比神宮。
けひじんぐう、と読みます。
福井県敦賀市にあります。

近所にある敦賀気比高校は、甲子園の福井代表としてもよく出場しています。

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敦賀といえば、日本海の海上交通の要衝であり、昔は大陸からの玄関口でもありました。
気比神宮も、かなり立派です。
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気比の長命水。
無病息災に効く湧き水だそうです。

大洲(おおず)のお城です。

天守閣は、老朽化などの理由もあって明治時代に解体されましたが、2004年、往時の史料に基づいて、ちゃんと木造で造り直されました。
木造で復元された天守閣の中では日本最大とのことで、立派です。

お城のすぐ下にユースホステルがあり、今回ここに宿泊。
ライトアップされた天守閣がみえました。
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愛媛県、松山から大洲、宇和島まで、駆け足で巡ってきました。

まずは松山城から。

リフトに乗って、お城の前まで。
いい天気。
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広場には、坊ちゃんとマドンナの格好をした若者がいます。
観光客へのサービスのようですね。
一緒に記念写真を撮ったり。

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駿河国の一宮は、富士山を仰ぐお社です。

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まるで合成写真のようですが、くっきり富士山が見えました。

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この本殿(奥の建物のこと)は、珍しいことに二階建て。
「浅間造り」といって、ここだけで見られるものです。
 
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本殿に近寄ってみました。
二階建てになっているのがよくわかります。
流造りの、湾曲して前に張り出した屋根も、きれいにまとまっています。

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境内にある、湧玉池(わくたまいけ)です。
透き通った水が印象的な池。

 
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そして、富士宮といえば「やきそば」ですね。
各地のB級グルメを集めた大会で優勝して、有名になりました。
「B-1 グランプリ」公式サイト

室戸岬の近くにある、杉尾神社という小さなお社にて。

菜の花がきれいに咲いていました。

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下総国の一宮、香取神宮。

こちらに祀られているのは「フツヌシ」で、鹿島の「タケミカヅチ」と並び称される武神。

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拝殿・本殿は、黒塗りの権現造りです。

常陸国の一宮、鹿島神宮。
 
近所の香取神宮と並んで歴史は古く、「官幣大社」と格式も高い神社です。
そもそも、遠い昔「神宮」を名乗っていたのは、伊勢の他には、ここ鹿島と香取だけ。
当時の東方最前線という意味合いもあって、とても重要視されたようです。
祀られているのも、「タケミカヅチ」という武神。

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ここの楼門は、神社の三大楼門のひとつだそうです。
ちなみに、以前に載せた阿蘇神社の楼門も、そのひとつ。

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境内は広く、うっそうとした森が広がります。鹿島神宮では、「神鹿」が飼育されています。
奈良にある春日大社は、鹿島神宮からタケミカヅチを招いて祀っているのですが、その際に分霊を鹿に乗せて運んだといういわれがあるそうです。

サッカーチーム「鹿島アントラーズ」のシンボルマークは、この神鹿ですね。

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御手洗池(みたらしいけ)
湧き水を貯めた池で、昔はここで禊(みそぎ)をしていたとのこと。


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境内の森には古くて大きな樹木が多く、荘厳な感じを受けます。

久住高原から、やまなみハイウェイをとおって阿蘇外輪を越え、カルデラの底に降りると、ちょうど阿蘇神社のそばに出ます。
肥後国一宮で、歴史もかなり古い神社です。
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山頂方面へ登ります。途中には、馬や牛が放牧されています。

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今回は山頂までは行きませんしたが、山麓には見事なススキ野原。
午後の光を受けて、金色に輝いていました。

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秋の旅行に出る前に、春夏撮影分で未掲載の写真を掲載したいと思います。

まずは、奈良斑鳩の法隆寺。
今年前半だけで、奈良に3回足を運びましたが、このうち法隆寺には2度参詣しました。
奈良は、街の規模が京都より小さいこともあってか、田や畑の中にお寺があるという感じですね。とくに斑鳩あたりまで来ると、周りの風景ものどかで、ホッとします。

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正面から。左奥に五重塔が見えます。

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小学生たちが見学に来ていました。
歴史を間近に学べる、贅沢な環境で育っていますね!

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西院伽藍(金堂や五重塔など)と東院伽藍(夢殿など)とを結ぶ石畳の道。
古い壁が残っています。

奈良県橿原市の橿原神宮(かしはらじんぐう)です。
初代天皇である神武天皇を祀る神社として、神武天皇の宮があったとされる場所に建てられた神社。
格も高く著名な神社ではありますが、建てられたのは意外と新しく、明治になってから。
桧皮葺の屋根が美しい神社です。

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2月、5月に引き続き、今年3度目の奈良。
唐招提寺の御影堂にある鑑真和上像の特別公開を観に行ってきました。
その御影堂については撮影禁止のため写真はないのですが、唐招提寺の他にもいろいろと回ったので、そちらの写真を掲載してゆきます。

まずは、薬師寺。

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熊野三山のひとつ、熊野速玉大社です。
青い空に映える鮮やかな朱色が、ここは聖地であると主張しているかのようです。


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東大寺の大仏様
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春日大社
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薬師寺
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学生時代の友人たちと、奈良に出かけてきました。
東大寺の駐車場にクルマを停めて、東大寺、春日大社、興福寺と一周。
これだけで、たっぷり5時間の散歩コース。

大仏様には小学校以来の再会。また、東大寺三月堂や興福寺国宝館などにも立ち寄り、素晴らしい芸術作品を堪能。
歴史ある場所を訪れるのは昔から好きでしたが、最近は仏像にも興味が出てきたところ。
奈良は研究のしがいがありそうです(撮影禁止のものが多いですが・・)。

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9月の四国旅行から。

源平合戦で名高い屋島にある、屋島寺です。
義経を守ってここで戦死した佐藤継信の墓もあります。平泉から従軍していた佐藤兄弟の兄ですね。

屋島で道に迷った弘法大師の前に、老人に変化して現れ道案内をしたという「太三郎狸」
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ここは84番目の札所。88番目まで、もうわずか。
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定期観光バス、続いては大原三千院へ。

午前中の延暦寺では青い空がみられたものの、このあたりに来た頃には、いまにも降り出しそうな雰囲気。
ただ、緑の庭の撮影には、これくらいの光の加減がちょうどよいのかも。

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延暦寺に行ってきました。

家族旅行で京都へ。
駅前からは、全部おまかせ「定期観光バス」で、比叡山延暦寺と大原三千院コースに参加。
自分でまわる旅が多いですが、たまにはこういうガイド付きの観光もいいですね。
団体のシールを胸元に貼って、バスガイドの旗について歩くのは新鮮。

比叡山延暦寺
http://www.hieizan.or.jp/

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下北半島旅行で、イタコで有名な恐山にも立ち寄りました。
晴天だったこともあってか、恐ろしげではありませんでした。
というよりも、そういった観光客的な間違った思い込みで訪れてはいけない場所だと感じさせる雰囲気がありました。

静かな雰囲気の中、キラキラと穏やかに輝く湖面。
どことなく寂しげで、どことなく優しい地蔵の表情。
そして、賽の河原に積まれた無数の小石。
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子供を亡くした親たちは、どんなことを思いながら石を積んだのでしょうか。
胸に迫るものがあります。

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